新海誠監督の最新作「星を追う子供」を早速みてきました。
新海さんの作品はとても大好きで、
特に前作「秒速5センチメートル」なんかは、
実写も含めても、全映像作品の中でトップ3に入るくらい好き。
僕だけでなくて、彼の作品は熱烈なファンが多いです。
その理由は圧倒的に美しい風景や光の描写と
「新海節」とも言われる映像の語り口、リズムにもあると思いますが、
「ほしのこえ」「雲の向こう、約束の場所」「秒速5センチメートル」で
一貫して描いてきた「大切なものの喪失」と
それによる「ここではないどこかへの切望」という
テーマに共感を集めているという部分によるところも大きいと思う。
しかし、その一貫したテーマも前3作、
特に「秒速5センチ」で完成の域に達した感はありました。
そんな中、最新作として登場したのがこの「星を追う子供」というわけです。
今回の作品は、これまでの日常をベースにした作品と一線を画し、
まさにストーリーとしても画にしても、「ジブリ」が作りそうな
ファンタジーな世界観の作品。
その内容、テーマはこれまでの新海作品が「大切なものを喪失すること」、
それを受けて「ここではないどこか」を渇望する心を描いていたところから
一歩進み、喪失した後どうするのか、ここではない自分にふさわしいどこかは
果たして見つけることができるのか、という点に踏み込んでいっている。
結論的には特段目新しいわけではなく、「そうだよね」と誰もが思う、
当たり前の正しいところに今策では落ち着いてはいるが、
これまでのテーマから一歩踏み出し、かつ世界観やタッチまでも
新境地に向かおうとしている姿勢はとてもよくわかります。
新タッチではジブリを過度に意識していると感じられてしまう部分も確かにありましたが、
今後その部分を飼いならし、新海節と融合させ、自分のものにできていくだろうと思います。
「新海誠第2章の幕開け」を感じられたという意味ですがすがしい作品でした。
2011年5月7日土曜日
2011年5月1日日曜日
英国王のスピーチ
今更ながら2010年度アカデミー作品賞を受賞した
「英国王のスピーチ」を見てきました。
ちょうどアカデミー賞発表直後の頃は、私盛んに
「オスカーはソーシャルネットワークがとるべきだった。
アカデミー賞は時代がわかっていない!」と
鼻息荒くのたまっておりましたが、
いやいや、この「英国王のスピーチ」の受賞は妥当どころか、
十分に時代を反映した作品だったとよくわかりました。
やはり見てもいない作品をとやかく言うのはダメですね。
今や英国王室の話題はニュースのトップであるわけですしね。
さて、しかしこの映画、本当に面白かった。
まずこの題材というか背景がもうすでにすごいですよね。
主人公のジョージ6世は、第2次世界大戦時の英国王。
すなわちヒトラー率いるナチスドイツと戦ったイギリスの元首なわけです。
ヒトラーとは言わずと知れた「歴史上で最も演説のうまかった男」。
演説による人心掌握術でそこまでの地位にたどり着いたといっても過言ではないレベル。
そのヒトラーと戦わなくてはならないジョージ6世は
吃音がひどく、うまく演説ができないというコンプレックスを持っています。
また、自分が王であっていいのか自信を持つこともできません。
一瞬しか出てきませんが、このヒトラーとジョージ6世という
コントラストに思いをはせるだけでもものすごく面白いわけです。
さらに時代はラジオの普及が始まったころで、
国家元首が国民に直接メッセージを伝えるということが
初めて大切になった時代のリーダーでもあるのだからさらに大変。
そしてこの作品はその吃音を治すために王についた
言語療養士と王とのかかわりを中心に物語が進みます。
物語の主題的には一人の男が、自分の立場と役割を受け入れ、
言語療養士との友情・家族との絆を通して、自信を持ち、前に進もうとする姿勢を
手にしていくという王道の成長物語でもあるわけですが、
なにせこの話、主人公は王様。
そして言語療養しは貴族でも爵位もない(しかも医師でもない)このただの平民。
この2人の関わりを見ていくことで、民主主義社会における王というもの、
さらには民衆とリーダーというものの在り方が、
おのずと描かれていくわけでもあるのです。
そういう意味で、とても現代的であり、深い意味で時代に即した映画であると
すごく感じたまさに王道の名作映画でありました。オススメです。
2011年4月13日水曜日
こんなはずじゃなかった10年後
現在放送中のアニメーション、
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」
を放送終了している3話まで見てみた。
たぶん誰にでも、
もう二度と会うことができなくなってしまった人がいて、
もうその人はいないし、話すことも、
会うこともないんだってわかっているけれど
でも、昔その人と一緒に過ごした場所なんかに行くと、
たとえば障子の向こうから、庭先から、角の向こうから、
その人がおもむろに現れるような気がすることがある。
かつて子供のころ仲間だった5人が、
もう会えなくなってしまったかつての仲間に対して、
そんな想いをそれぞれ持っていて、
それぞれがそれぞれなりの「その人」の面影を
探して、もう一度集まっていくという話が
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」というアニメ。
小学生の頃とかにずっと一緒に遊んでいた仲間は、
中学に入るころには何となくあまり話すこともなくなって、
10年も経てば、全然それぞれ違う道を歩いていて、
もし会うことがあったとしても中々話も噛み合わない。
そういう誰にでもある苦い経験。
時間はどんな人にも等しく流れて、
10年という大きな時間が経った後では、
その時間が経った結果はすごくはっきりと違って現れる。
すべての人がたぶん多少なりとも思う、
「どうしてこうなってしまったんだろう」と。
あの頃、そんなはずじゃなかったのに。と。
ZONEが歌った「secret base ~君がくれたもの~」が発表されてから、
2011年でちょうど10年経ったことになるらしい。
もうすぐ「10年後の8月」がやってくる。
今あるのは、誰にとっても良くも悪くも
「こんなはずじゃなかった10年後」だけだ。
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」
を放送終了している3話まで見てみた。
たぶん誰にでも、
もう二度と会うことができなくなってしまった人がいて、
もうその人はいないし、話すことも、
会うこともないんだってわかっているけれど
でも、昔その人と一緒に過ごした場所なんかに行くと、
たとえば障子の向こうから、庭先から、角の向こうから、
その人がおもむろに現れるような気がすることがある。
かつて子供のころ仲間だった5人が、
もう会えなくなってしまったかつての仲間に対して、
そんな想いをそれぞれ持っていて、
それぞれがそれぞれなりの「その人」の面影を
探して、もう一度集まっていくという話が
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」というアニメ。
小学生の頃とかにずっと一緒に遊んでいた仲間は、
中学に入るころには何となくあまり話すこともなくなって、
10年も経てば、全然それぞれ違う道を歩いていて、
もし会うことがあったとしても中々話も噛み合わない。
そういう誰にでもある苦い経験。
時間はどんな人にも等しく流れて、
10年という大きな時間が経った後では、
その時間が経った結果はすごくはっきりと違って現れる。
すべての人がたぶん多少なりとも思う、
「どうしてこうなってしまったんだろう」と。
あの頃、そんなはずじゃなかったのに。と。
ZONEが歌った「secret base ~君がくれたもの~」が発表されてから、
2011年でちょうど10年経ったことになるらしい。
もうすぐ「10年後の8月」がやってくる。
今あるのは、誰にとっても良くも悪くも
「こんなはずじゃなかった10年後」だけだ。
2011年1月21日金曜日
Geek T-shirt !!!
以前なんとなくMozillaの公式サイトで
Firefox T-shirtを買って以来、そういうGeek系の
T-shirt的グッズが大好きだったりする。
HTML5のロゴ公開に伴って、T-shirtも売り出したという
ニュースを聞いて、久々にGeek系というかIT系のT-shirtを探してみた。
Firefox T-shirtを買って以来、そういうGeek系の
T-shirt的グッズが大好きだったりする。
HTML5のロゴ公開に伴って、T-shirtも売り出したという
ニュースを聞いて、久々にGeek系というかIT系のT-shirtを探してみた。
以降はIT系とはちょっと違うけど、
シネマカメラ等個人的に興味あるメーカー等のT。
デジタルシネマカメラのメーカー。
シネマ用フィルムカメラのメーカー。
世界中のデザイナーが愛する英字フォント。
リンク先はそれを題材にしたドキュメンタリー映画のストア。
調べてみるといっぱいあるものだ...
今は海外からでもネットで注文してすぐに届くし、
レート的にもすごくお得に買えるし、
PayPalとか使えば気楽に決済できるし、
いっぱい買ってしまいそうですw
2011年1月19日水曜日
2011年1月18日火曜日
短期的目標
昨年の秋くらいから、ほとんど
個人的な映像制作を行わなくなってしまった。
そして考えることは、いつ新しいことを始めるか、
どういう未来を描くかということばかり。
そろそろ現実的に実現していく短期的目標を持って
毎日を過ごさねばと思う。
まず、ここ3か月あたりで考えてきた近未来像として
「電子書籍・ウェブマガジンでの映像連載を持つこと」
「人間を取材し、かつそれをインタビュー映像ではなく作品として仕上げること。」
「世界中を作品の舞台にできるようになること。」
という主に3つがある。
この3つを実現することは、
たとえば今すぐ突然仕事を辞めて、
「やります!」といったところでできることではない。
ひとつずつ実現に向けて歩を進めていく必要がある。
とりあえず3つ目の「世界中を舞台に」というのは
一旦置いておくことにして、1つ目と2つ目を同時に
進めていくことにしようと思う。
方法は2の「人間を題材にした作品」のプロトタイプを作り、
そしてそれを雑誌関係にプレゼンしてみること。
すぐにうまくいくことなどないだろうが、必ず何らかの
フィードバックは得られるだろう。
プロトタイプは3月頭の撮影を目標として、
それ以降で4月まであたりに最初のプレゼンを実行に移したい。
撮影までに必要なことは、
ウェブや電子雑誌でどんなショートクリップが今あるのか、
そしてどういうものが人気なのかということを少し調べてみること。
こういうものは「これまであるもの」をマネしても
うまくいかないものだとは思うが、何かの参考にはなるだろう。
勿論それは「どんな映像か」だけでなくて、
「何をメッセージしている」映像かというテーマの部分も。
何をテーマにするかによって、
僕がターゲットにするコミュニティ層が変わってくる。
プレゼン対象のことも考えながら、
その辺を撮影までに詰めていくことが急務。
未来に向けて、一歩ずつ、一歩ずつ...
個人的な映像制作を行わなくなってしまった。
そして考えることは、いつ新しいことを始めるか、
どういう未来を描くかということばかり。
そろそろ現実的に実現していく短期的目標を持って
毎日を過ごさねばと思う。
まず、ここ3か月あたりで考えてきた近未来像として
「電子書籍・ウェブマガジンでの映像連載を持つこと」
「人間を取材し、かつそれをインタビュー映像ではなく作品として仕上げること。」
「世界中を作品の舞台にできるようになること。」
という主に3つがある。
この3つを実現することは、
たとえば今すぐ突然仕事を辞めて、
「やります!」といったところでできることではない。
ひとつずつ実現に向けて歩を進めていく必要がある。
とりあえず3つ目の「世界中を舞台に」というのは
一旦置いておくことにして、1つ目と2つ目を同時に
進めていくことにしようと思う。
方法は2の「人間を題材にした作品」のプロトタイプを作り、
そしてそれを雑誌関係にプレゼンしてみること。
すぐにうまくいくことなどないだろうが、必ず何らかの
フィードバックは得られるだろう。
プロトタイプは3月頭の撮影を目標として、
それ以降で4月まであたりに最初のプレゼンを実行に移したい。
撮影までに必要なことは、
ウェブや電子雑誌でどんなショートクリップが今あるのか、
そしてどういうものが人気なのかということを少し調べてみること。
こういうものは「これまであるもの」をマネしても
うまくいかないものだとは思うが、何かの参考にはなるだろう。
勿論それは「どんな映像か」だけでなくて、
「何をメッセージしている」映像かというテーマの部分も。
何をテーマにするかによって、
僕がターゲットにするコミュニティ層が変わってくる。
プレゼン対象のことも考えながら、
その辺を撮影までに詰めていくことが急務。
未来に向けて、一歩ずつ、一歩ずつ...
2011年1月6日木曜日
早い段階での決断
あけましておめでとうございます。
正月は実家に帰っていました。
久々に中学の友人に会うと、
ちょうど年齢的にほとんどの人が大学を卒業して
社会人になろうかというあたり。
でも実際は、会った人の大半が就職ではなく、
大学院進学か、浪人・留年、
もしくはフリーターなどになっていた。
就職した人間のほうが数としてはすごく少なくて、
それも地方企業の管理とか事務とか。
そういう仕事とか生き方が悪いというつもりはもちろんなくて、
彼らには彼らにしか、僕らには僕らにしか手の届かない種類の幸せと
いうものがあるのだろうなとは思うのだけれど、
彼らの顔を見ているとお世辞にも「こんなはずじゃなかったのに」感が
多かれ少なかれ出ているのを見ると、
やりたいジャンルの仕事に関われている自分は幸せなほうなんだな、
と思ってしまった。
そこでやはり思うのは、
自分のやりたいことはできるだけ人生の早い段階でざっくりと決めて、
そこに必要な能力に絞って労力を注いでいくべきなのではないかということ。
僕もその一人だが、いわゆる「平均的」な能力値の人間が
学校で学ぶ勉強やら、部活で鍛える身体能力やら、
仲間とうまくやっていくコミュニケーション力やらを
均等に鍛えていたところで、結局はすべての能力値が
平均的な、ノーマルキャラにしかなれない。
そしてノーマルキャラは社会のどこにでもいるので、
逆にいうとどこにいようと扱いは対して変わらない。
これでは自分がどこにいるべき人間なのか、
何に向いているのかなど考えることはできない。
しかし、中途半端に自由を持てる現代社会では
人は自分の居場所を自分で決めなくてはならない。
そのノーマルキャラでは、永遠に答えの出ない問題に
苦しめられ続けているのが今の多くの同世代の人たちに思える。
それならば、早い段階で、自分が力と時間を注ぐ
ジャンルを決めてしまい、他の能力値を伸ばすことを
あきらめて、特定の能力に特化して伸ばすほうに
やり方を変えたほうが絶対にいい。
一芸特化型の人間は、居場所が自然と決まってきてしまうが、
そのほうが、逆に力は発揮しやすいのも確かだ。
正月は実家に帰っていました。
久々に中学の友人に会うと、
ちょうど年齢的にほとんどの人が大学を卒業して
社会人になろうかというあたり。
でも実際は、会った人の大半が就職ではなく、
大学院進学か、浪人・留年、
もしくはフリーターなどになっていた。
就職した人間のほうが数としてはすごく少なくて、
それも地方企業の管理とか事務とか。
そういう仕事とか生き方が悪いというつもりはもちろんなくて、
彼らには彼らにしか、僕らには僕らにしか手の届かない種類の幸せと
いうものがあるのだろうなとは思うのだけれど、
彼らの顔を見ているとお世辞にも「こんなはずじゃなかったのに」感が
多かれ少なかれ出ているのを見ると、
やりたいジャンルの仕事に関われている自分は幸せなほうなんだな、
と思ってしまった。
そこでやはり思うのは、
自分のやりたいことはできるだけ人生の早い段階でざっくりと決めて、
そこに必要な能力に絞って労力を注いでいくべきなのではないかということ。
僕もその一人だが、いわゆる「平均的」な能力値の人間が
学校で学ぶ勉強やら、部活で鍛える身体能力やら、
仲間とうまくやっていくコミュニケーション力やらを
均等に鍛えていたところで、結局はすべての能力値が
平均的な、ノーマルキャラにしかなれない。
そしてノーマルキャラは社会のどこにでもいるので、
逆にいうとどこにいようと扱いは対して変わらない。
これでは自分がどこにいるべき人間なのか、
何に向いているのかなど考えることはできない。
しかし、中途半端に自由を持てる現代社会では
人は自分の居場所を自分で決めなくてはならない。
そのノーマルキャラでは、永遠に答えの出ない問題に
苦しめられ続けているのが今の多くの同世代の人たちに思える。
それならば、早い段階で、自分が力と時間を注ぐ
ジャンルを決めてしまい、他の能力値を伸ばすことを
あきらめて、特定の能力に特化して伸ばすほうに
やり方を変えたほうが絶対にいい。
一芸特化型の人間は、居場所が自然と決まってきてしまうが、
そのほうが、逆に力は発揮しやすいのも確かだ。
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