たまたまTSUTAYAでジャケ借りした
台湾映画「あの頃、君を追いかけた」が
個人的に超ツボな映画でした。
こういう、ただ青春時代の淡い恋愛や
若き日の情熱を描くだけでなく、
一人の人間の人生全体を描く映画が僕は大好きです。
そんな、「人生っていいなって思える映画たち」集めてみました。
「あの頃、君を追いかけた」
まずは今回ハマってしまった台湾の青春映画。
高校時代の恋した人が、時とともに恋を超えた大切な人になっていくさまが、
誰かが死んだり、病気になったり、超常能力に目覚めたりということなく、
ごく普通に、どこにでもある出来事を丁寧に見せていくのがたまらない。
「きっと、うまくいく」
世界中で話題になったインドの大ヒット映画。
大学で出会った3人の男たちの学生生活から、
人生で大切なものってなんだろうという問いかけを描く名作。
とにかくこれは必見。
「あの頃、ペニーレインと」
もう、本当に大好きすぎる一本。
アメリカのロック全盛期の終わりごろ、
音楽批評家を目指し、バンドと一緒に旅に出る少年の青春映画。
音楽も最高。
バスの中でTiny Dancerを歌うシーンは映画史に残る名場面。
「秒速5センチメートル」
このジャンルで日本映画から一本選ぶのならば、
もうこれしかない、と僕は思っている作品。
全ての映画の中で1,2を争うくらい好きです。
どんな平凡な人生の中にでもドラマはあって、
それは間違いなくその人にとって、とても切実なもの。
その切実さをちゃんと噛み締めて生きていきたいなと思う一本。
「ウォールフラワー」
比較的新しい青春映画。
青春のきらめきと、避けられない痛み、
完璧な映画ではないかもしれないけど、
そんなものを超えた魅力がある映画。素敵です。
「スパニッシュ・アパートメント」
ヨーロッパ中から集まった学生たちが一緒に暮らす、バルセロナのアパート。
それぞれの文化と個性が混じりあう不思議な魅力を持った作品。
たまに見たくなる映画です。
「ロード・オブ・ドッグタウン」
今回紹介している他の作品と違って、学生や学園ものとはちょっと違うけど、
間違いなく青春のきらめきと、人生について描いた名作。
伝説のスケートボーダー3人の青年時代についての映画です。
「旅するジーンズと16歳の夏」
こちらもちょっと他と毛色の違う作品で、女の子4人が主人公。
4人がそれぞれ旅に出て見つけた出会いと成長の物語。
小粒ですが、いい話です。
グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち
忘れちゃいけない、このジャンル最高の名作。
語ることは何もないので、とにかく見てなければ見るべし。
思い出したら、追記していきます。
2014年4月30日水曜日
2013年3月4日月曜日
「ジャンゴ 繋がれざる者」から見るマカロニウエスタンの本質
クエンティン・タランティーノ監督による「ジャンゴ 繋がれざる者」。
ずっと楽しみにしていたこの作品が、やっと公開になったので、
さっそく見に行ってきました。
この映画、ただのウエスタン(西部劇)映画ではなく、タランティーノが自分の大きなルーツのひとつであると語る「マカロニウエスタン」というジャンルへのリスペクト映画でもあります。
高校時代にタランティーノ作品からマカロニウエスタンについて知り、その代表監督であるセルジオレオーネ作品にどっぷりハマってしまった私としては、この映画は本当に特別で、楽しみにしていた作品でした。
マカロニウエスタンとは何か?
感想について触れる前に、マカロニウエスタンとは何かを
知らない人のために簡単に説明しておきます。
マカロニウエスタンとは、1960~1970年代にイタリアで作られた西部劇映画のことです。代表作としては「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「荒野の1ドル銀貨」などがあり、クリント・イーストウッドはこのジャンルから有名になった俳優でもあります。
アメリカで作られた西部劇とマカロニウエスタンの大きな違いは、残虐性の強いストーリーとキャラクター、激しい銃撃シーン、そして(これはマカロニウエスタンの、というよりもその代表監督であるセルジオ・レオーネ作品の特徴といったほうがいいかもしれませんが、)決闘シーンなどに見られる圧倒的な様式美、外連味、登場人物のキャラクター性の強さなどがあげられます。
アメリカの西部劇が、カウボーイたちを「アメリカ建国の父」として、ある種情緒的に描き出すのに反して、マカロニウエスタンは過剰なまでにエンターテインメントとして音楽や演出で盛り上げていく感じです。80,90年代のアクション映画に近い雰囲気です。
(ちなみに香港アクションの巨匠、ジョン・ウーもマカロニウエスタンのファンです)
↓こんなイメージ。「夕陽のガンマン」より
この特徴や作風によって、世界中にファンが多く、DVD化も結構な数の作品がされていて、今でもマカロニウエスタンをリスペクトした映画が多く作られてもいます。日本でも三池監督の「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」やクレヨンしんちゃんシリーズの「嵐を呼ぶ 夕陽 のカスカベボーイズ」などはど直球にマカロニウエスタンを意識してリスペクトした映画になっています。
「ジャンゴ 繋がれざる者」のマカロニウエスタンらしさ
ということで、タランティーノのマカロニウエスタンリスペクト映画である「ジャンゴ」もそういう演出的な意味でのマカロニリスペクトの映画なのかなと思っていました。
ところがどっこい、これが全然違ったんです。
マカロニのもうひとつの側面にどちらかというとフォーカスした映画でした。
もう一方のマカロニウエスタンらしさ、
それはマカロニウエスタンが生まれた歴史に関係があります。
ウエスタン・西部劇映画とは、そもそもアメリカの西部開拓時代を描いた作品です。
だから舞台はアメリカであることが大前提で、もちろんマカロニウエスタンも設定的に同じです。それがなぜイタリアで作られることになったかというと、いろんな時代背景が絡んでくるのです。
まず、アメリカで西部劇が一番流行っていたのはジョン・ウェインとジョン・フォード監督がタッグを組んで名作を量産していた1940年代から1960年代頭くらいの時期です。
このころ西部劇はアメリカ映画の花形でした。
ところが1960年代半ばになってくると、アメリカはベトナム戦争へと突入し、さらに国内では人権運動の機運が高まってきます。
このころの西部劇は、西部を開拓していく白人カウボーイをヒーローとし、その敵、悪役として先住民であるインディアンを描いていました。その描かれ方が、人権運動の高まる時代の雰囲気とだんだんと離れていき、西部劇の人気は一気に衰えていきます。人気の衰えはそのまま予算の縮小につながり、アメリカで西部劇をつくることはだんだん少なくなっていきました。
一方ところ変わって、ヨーロッパ・イタリアではその頃ちょうど、大巨匠フェデリコ・フェリーニらによって生み出されたイタリアの映画黄金期が終わりを迎え始めた頃でした。
その結果、黄金期には多くの超大作映画を生み出したチネチッタスタジオをはじめとする映画の制作スタジオや製作業界が経営難に陥り、製作リソースが余っている状態にありました。
そこで目を付けられたのが「西部劇」というジャンルでした。
イタリアの若い監督たちが、アメリカで斜陽になった西部劇俳優たちを呼び寄せ、ユーゴスラビアやスペインの砂漠などを使って撮影されたのが「マカロニウエスタン」というジャンルなのです。
そこで出てくるのが、もうひとつのマカロニウエスタンの特徴です。
それは、内容はアメリカの歴史でも、作っている人間はアメリカ人でないため生まれた特徴であるとも言え、端的にいうと「カウボーイたちを英雄視する気が全く皆無」だということです。
とにかく徹底的にまでもマカロニウエスタンに出てくる登場人物はクソ野郎です。
銃を持つ人間は白人もメキシコ人もインディアンも黒人もみな等しく残虐で、そいつらが逆に爽快なまでに醜く争うのがマカロニウエスタンなのです。
マカロニウエスタンは
「アメリカが描こうとしなかった西部開拓の姿を描いた西部劇」でもあるのです。
今回の「ジャンゴ 繋がれざる者」でフォーカスされたのは、
黒人奴隷について、です。
これはアメリカ映画、特に西部劇がタブー化して描くのを避けてきたテーマでした。史実上は黒人のカウボーイも多かったという話も聞きますが、アメリカ西部劇映画で黒人の奴隷がしっかり出てくることはあまりありませんでした。
ここに焦点を当てたのが今回の映画になっています。
それはある意味で、マカロニウエスタンの「アメリカが描こうとしなかった西部の姿を描いたジャンル」という精神をリスペクトした初めての映画になったんじゃないかと私は感じました。
単純にマカロニウエスタンの演出・構成的特徴を取り入れた作品は世の中に数多く出ていますが、それだけでなくここまで精神的な意味でマカロニというジャンルをリスペクトした映画はこれまでなかったような気がします。
そういう意味で、改めてタランティーノの
懐の深さを感じた映画になったような気がします。
(演出的なマカロニリスペクトはキルビルで十分やりきったのかもしれません。)
とりあえずそんな薀蓄は置いといても、よい映画だったのでオススメの映画です。
ただ、残虐シーンはデフォルトで山盛りなので、
そういうの苦手な方にはお勧めしませんのであしからず,,,
ずっと楽しみにしていたこの作品が、やっと公開になったので、
さっそく見に行ってきました。
この映画、ただのウエスタン(西部劇)映画ではなく、タランティーノが自分の大きなルーツのひとつであると語る「マカロニウエスタン」というジャンルへのリスペクト映画でもあります。
高校時代にタランティーノ作品からマカロニウエスタンについて知り、その代表監督であるセルジオレオーネ作品にどっぷりハマってしまった私としては、この映画は本当に特別で、楽しみにしていた作品でした。
マカロニウエスタンとは何か?
感想について触れる前に、マカロニウエスタンとは何かを
知らない人のために簡単に説明しておきます。
マカロニウエスタンとは、1960~1970年代にイタリアで作られた西部劇映画のことです。代表作としては「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「荒野の1ドル銀貨」などがあり、クリント・イーストウッドはこのジャンルから有名になった俳優でもあります。
アメリカで作られた西部劇とマカロニウエスタンの大きな違いは、残虐性の強いストーリーとキャラクター、激しい銃撃シーン、そして(これはマカロニウエスタンの、というよりもその代表監督であるセルジオ・レオーネ作品の特徴といったほうがいいかもしれませんが、)決闘シーンなどに見られる圧倒的な様式美、外連味、登場人物のキャラクター性の強さなどがあげられます。
アメリカの西部劇が、カウボーイたちを「アメリカ建国の父」として、ある種情緒的に描き出すのに反して、マカロニウエスタンは過剰なまでにエンターテインメントとして音楽や演出で盛り上げていく感じです。80,90年代のアクション映画に近い雰囲気です。
(ちなみに香港アクションの巨匠、ジョン・ウーもマカロニウエスタンのファンです)
↓こんなイメージ。「夕陽のガンマン」より
この特徴や作風によって、世界中にファンが多く、DVD化も結構な数の作品がされていて、今でもマカロニウエスタンをリスペクトした映画が多く作られてもいます。日本でも三池監督の「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」やクレヨンしんちゃんシリーズの「嵐を呼ぶ 夕陽 のカスカベボーイズ」などはど直球にマカロニウエスタンを意識してリスペクトした映画になっています。
「ジャンゴ 繋がれざる者」のマカロニウエスタンらしさ
ということで、タランティーノのマカロニウエスタンリスペクト映画である「ジャンゴ」もそういう演出的な意味でのマカロニリスペクトの映画なのかなと思っていました。
ところがどっこい、これが全然違ったんです。
マカロニのもうひとつの側面にどちらかというとフォーカスした映画でした。
もう一方のマカロニウエスタンらしさ、
それはマカロニウエスタンが生まれた歴史に関係があります。
ウエスタン・西部劇映画とは、そもそもアメリカの西部開拓時代を描いた作品です。
だから舞台はアメリカであることが大前提で、もちろんマカロニウエスタンも設定的に同じです。それがなぜイタリアで作られることになったかというと、いろんな時代背景が絡んでくるのです。
まず、アメリカで西部劇が一番流行っていたのはジョン・ウェインとジョン・フォード監督がタッグを組んで名作を量産していた1940年代から1960年代頭くらいの時期です。
このころ西部劇はアメリカ映画の花形でした。
ところが1960年代半ばになってくると、アメリカはベトナム戦争へと突入し、さらに国内では人権運動の機運が高まってきます。
このころの西部劇は、西部を開拓していく白人カウボーイをヒーローとし、その敵、悪役として先住民であるインディアンを描いていました。その描かれ方が、人権運動の高まる時代の雰囲気とだんだんと離れていき、西部劇の人気は一気に衰えていきます。人気の衰えはそのまま予算の縮小につながり、アメリカで西部劇をつくることはだんだん少なくなっていきました。
一方ところ変わって、ヨーロッパ・イタリアではその頃ちょうど、大巨匠フェデリコ・フェリーニらによって生み出されたイタリアの映画黄金期が終わりを迎え始めた頃でした。
その結果、黄金期には多くの超大作映画を生み出したチネチッタスタジオをはじめとする映画の制作スタジオや製作業界が経営難に陥り、製作リソースが余っている状態にありました。
そこで目を付けられたのが「西部劇」というジャンルでした。
イタリアの若い監督たちが、アメリカで斜陽になった西部劇俳優たちを呼び寄せ、ユーゴスラビアやスペインの砂漠などを使って撮影されたのが「マカロニウエスタン」というジャンルなのです。
そこで出てくるのが、もうひとつのマカロニウエスタンの特徴です。
それは、内容はアメリカの歴史でも、作っている人間はアメリカ人でないため生まれた特徴であるとも言え、端的にいうと「カウボーイたちを英雄視する気が全く皆無」だということです。
とにかく徹底的にまでもマカロニウエスタンに出てくる登場人物はクソ野郎です。
銃を持つ人間は白人もメキシコ人もインディアンも黒人もみな等しく残虐で、そいつらが逆に爽快なまでに醜く争うのがマカロニウエスタンなのです。
マカロニウエスタンは
「アメリカが描こうとしなかった西部開拓の姿を描いた西部劇」でもあるのです。
今回の「ジャンゴ 繋がれざる者」でフォーカスされたのは、
黒人奴隷について、です。
これはアメリカ映画、特に西部劇がタブー化して描くのを避けてきたテーマでした。史実上は黒人のカウボーイも多かったという話も聞きますが、アメリカ西部劇映画で黒人の奴隷がしっかり出てくることはあまりありませんでした。
ここに焦点を当てたのが今回の映画になっています。
それはある意味で、マカロニウエスタンの「アメリカが描こうとしなかった西部の姿を描いたジャンル」という精神をリスペクトした初めての映画になったんじゃないかと私は感じました。
単純にマカロニウエスタンの演出・構成的特徴を取り入れた作品は世の中に数多く出ていますが、それだけでなくここまで精神的な意味でマカロニというジャンルをリスペクトした映画はこれまでなかったような気がします。
そういう意味で、改めてタランティーノの
懐の深さを感じた映画になったような気がします。
(演出的なマカロニリスペクトはキルビルで十分やりきったのかもしれません。)
とりあえずそんな薀蓄は置いといても、よい映画だったのでオススメの映画です。
ただ、残虐シーンはデフォルトで山盛りなので、
そういうの苦手な方にはお勧めしませんのであしからず,,,
2012年12月23日日曜日
映画「ホビット」で最高の映像没入体験を!
前回に続いて映画のお話し。
先日「ホビット 思いがけない冒険」を見てきました。
内容としては最高に面白く、個人的にはロードオブザリングより
好きだなぁなんて思いました。
LOTRは使命があって、追いかけられる話ですが、
こっちは巻き込まれて、力のない自分が冒険に飛び込んでいくという話なので
共感しやすいというところもあったのかなと思います。
ちなみにこれ2部作なんですね...見終わるまで知らなかった笑
で、今回言いたいのは面白かったです!っていう話ではなくて、
この映画が映画史上初めて、あることに挑戦した映画だっていう話です。
それは初めての「48p映画」だってことです。
通常の映画はフィルムでもデジタルでも毎秒24コマで
画が表示されています。一秒間に24枚の写真が表示されて動いて見えてるということです。
これが「映画っぽくてかっこいい」という風に言われていて、
ビデオカメラにも「シネマモード」なんていうのがあったりして、
これはコマ数を毎秒24コマまで落として映画っぽくみせる機能だったりします。
ところがこの「ホビット」は毎秒48コマで作られています。
ほかの映画と比べて一秒間に表示される画が2倍になっているわけです。
そうすると、どうなるのか。
動きがすごくなめらかに見えるようになります。
なぜこんなことをするかというと、
「アバター」登場から3D映画というものが大作映画でドンドン増えていて、
ホビットも3D映画になっているのですが、
3Dでせっかく没入感というか、映画の世界に
入り込んだような体験をできるようになったのに、
24コマのままだと、「なんか動きが見づらい!」ってことになったからです。
「アバター」監督のキャメロンも、次回作は秒48コマ以上で撮る!と宣言してたりします。
その流れの中で最初に公開された3D秒48コマ映画が「ホビット」なのです。
アメリカの試写などでは、観客からも評論家からも「テレビ見たいでダサい!」と
総スカンを食らっていたらしいのですが、実際に見てみると、これが思いの他いい!
24コマだと、カメラを横に動かすようなシーンで
全体がカクカクして、見にくく感じることがありましたが、(特に3D映画だと)
「ホビット」ではそれが全くない!
最初見始めた時こそ、
「なんかヌメヌメ動いて早送りしてるみたい・・・」とちょっと思いましたが、
すぐにそれにも慣れ、慣れてしまうと最高の映像体験ができました。
これからの3D映画は間違いなく48コマ以上で撮られるんだろうなーと思うほどです。
ぜひぜひ皆さんも体験してみてください!
----
ちなみに「ホビット」はすべての映画館で48コマ上映しているわけではなく、
HFR(ハイフレームレート)3D上映というのをしている館でないと、
普通に24コマ上映でやっています。
サイトで確認して、HFRやってる上映館で見ないと損です!気をつけて!
「ホビット」上映館情報
先日「ホビット 思いがけない冒険」を見てきました。
内容としては最高に面白く、個人的にはロードオブザリングより
好きだなぁなんて思いました。
LOTRは使命があって、追いかけられる話ですが、
こっちは巻き込まれて、力のない自分が冒険に飛び込んでいくという話なので
共感しやすいというところもあったのかなと思います。
ちなみにこれ2部作なんですね...見終わるまで知らなかった笑
で、今回言いたいのは面白かったです!っていう話ではなくて、
この映画が映画史上初めて、あることに挑戦した映画だっていう話です。
それは初めての「48p映画」だってことです。
通常の映画はフィルムでもデジタルでも毎秒24コマで
画が表示されています。一秒間に24枚の写真が表示されて動いて見えてるということです。
これが「映画っぽくてかっこいい」という風に言われていて、
ビデオカメラにも「シネマモード」なんていうのがあったりして、
これはコマ数を毎秒24コマまで落として映画っぽくみせる機能だったりします。
ところがこの「ホビット」は毎秒48コマで作られています。
ほかの映画と比べて一秒間に表示される画が2倍になっているわけです。
そうすると、どうなるのか。
動きがすごくなめらかに見えるようになります。
なぜこんなことをするかというと、
「アバター」登場から3D映画というものが大作映画でドンドン増えていて、
ホビットも3D映画になっているのですが、
3Dでせっかく没入感というか、映画の世界に
入り込んだような体験をできるようになったのに、
24コマのままだと、「なんか動きが見づらい!」ってことになったからです。
「アバター」監督のキャメロンも、次回作は秒48コマ以上で撮る!と宣言してたりします。
その流れの中で最初に公開された3D秒48コマ映画が「ホビット」なのです。
アメリカの試写などでは、観客からも評論家からも「テレビ見たいでダサい!」と
総スカンを食らっていたらしいのですが、実際に見てみると、これが思いの他いい!
24コマだと、カメラを横に動かすようなシーンで
全体がカクカクして、見にくく感じることがありましたが、(特に3D映画だと)
「ホビット」ではそれが全くない!
最初見始めた時こそ、
「なんかヌメヌメ動いて早送りしてるみたい・・・」とちょっと思いましたが、
すぐにそれにも慣れ、慣れてしまうと最高の映像体験ができました。
これからの3D映画は間違いなく48コマ以上で撮られるんだろうなーと思うほどです。
ぜひぜひ皆さんも体験してみてください!
----
ちなみに「ホビット」はすべての映画館で48コマ上映しているわけではなく、
HFR(ハイフレームレート)3D上映というのをしている館でないと、
普通に24コマ上映でやっています。
サイトで確認して、HFRやってる上映館で見ないと損です!気をつけて!
「ホビット」上映館情報
2012年12月22日土曜日
サイド・バイ・サイド
今日から公開の映画「サイド・バイ・サイド〜フィルムからデジタルシネマへ〜」を
渋谷のアップリンクで見てきました。
映画好き、特に制作の方に興味のある人間にはたまらない内容で、
もっと大まかな、概要で議論されるのかなと思っていましたが、
カメラの具体的な進化まで、結構な部分まで踏み込んでいました。
(カメラの型とかまで!)
僕としては、映画好きになって、映像作りを始めてからこれまで10年近くで、
映画雑誌やDVDのメイキングやブログや最近だとYouTubeとかで、
必死になってコツコツと集めてきたハリウッドで起こっている
技術的進歩とその戦いが全て網羅されていた印象で、
これまで塀の向こうの事を、ちょっと空いてる木の節の穴から覗いていたら、
突然そこに窓ができて一気に見えちゃった、みたいな感覚でした。
特に出てくる人出てくる人がノーランとか、スコセッシとか、トリアーとか、
ルーカスとか、リンチとか、キャメロンとか、大物ばっかりで説得力満載。
でもやっぱりデジタル推進に特に力をいれていたルーカスと
ロバート・ロドリゲスが出ていた事が特に嬉しかった。
ロドリゲスのインタビュー
(彼が、改造した自宅で映画を作っているという内容)を見て、
映像作りを始めた身としては感慨深い物がありました。
デジタル化は、どこの世界でも一緒だけど、
これまでになかった可能性を一気に切り開くのと同時に、
これまでの仕事のやり方を根本的に変える。
それは関わっていた人の役割も力関係も変えていくということで、
だからこそデジタル化には推進派と反対派が生まれることもある。
今回の映画では、撮影監督(DP)がその部分で特にピックアップされていて、
これまでフィルムだと、現像してラッシュがあがるまでDPしか
完成系の映像がイメージできなかった。
だからこそDPはすごい権限を持っていたけれど、
デジタルだとその場で確認も出来るし、
撮った画をほとんど全部といっていいくらい撮影後に作っていく事が出来てしまう。
それに対して悲しみを覚えている人も入れば、
新しい事が出来るって歓迎している人もいる。
監督がフィルム派とデジタル派にわかれるのはまた違った理由で、
フィルムの質感に愛着を持っているか、
それよりもデジタルでできる新しい挑戦の方を重要視するかの違い。
でもそれは意見を言っている監督を見ると、その作品からわかるように
作りたい作品の方向性の違いでもあるんだなと思いました。
ルーカスやキャメロンみたいな、新しい世界を想像しようとしている人たちは
デジタルが良いというし、もっと現実世界での人間ドラマのようなものに
フォーカスしている人たちがフィルムがいいという派の中には
多いような気がしました。
結局は選択肢が増えたという事で、
本当に大事なのは「何を作るか」で、そのために「何で作るか」が
選べるようになった良い時代になったねということかなと思います。
いやぁー、しかし、上映のデジタル化や5Dを始めとしたDSLRの登場、
REDやALEXAはもちろん、デジタルの保存形式の問題まで触れられていて、
本当に網羅されている感がすごい!
あとはスピルバーグとピータージャクソンの話も聞いてみたいなぁと思いました。
とにかく、映画好きなら必見の映画になっています。オススメ。
2011年5月7日土曜日
「ここではないどこか」の向こう側
新海誠監督の最新作「星を追う子供」を早速みてきました。
新海さんの作品はとても大好きで、
特に前作「秒速5センチメートル」なんかは、
実写も含めても、全映像作品の中でトップ3に入るくらい好き。
僕だけでなくて、彼の作品は熱烈なファンが多いです。
その理由は圧倒的に美しい風景や光の描写と
「新海節」とも言われる映像の語り口、リズムにもあると思いますが、
「ほしのこえ」「雲の向こう、約束の場所」「秒速5センチメートル」で
一貫して描いてきた「大切なものの喪失」と
それによる「ここではないどこかへの切望」という
テーマに共感を集めているという部分によるところも大きいと思う。
しかし、その一貫したテーマも前3作、
特に「秒速5センチ」で完成の域に達した感はありました。
そんな中、最新作として登場したのがこの「星を追う子供」というわけです。
今回の作品は、これまでの日常をベースにした作品と一線を画し、
まさにストーリーとしても画にしても、「ジブリ」が作りそうな
ファンタジーな世界観の作品。
その内容、テーマはこれまでの新海作品が「大切なものを喪失すること」、
それを受けて「ここではないどこか」を渇望する心を描いていたところから
一歩進み、喪失した後どうするのか、ここではない自分にふさわしいどこかは
果たして見つけることができるのか、という点に踏み込んでいっている。
結論的には特段目新しいわけではなく、「そうだよね」と誰もが思う、
当たり前の正しいところに今策では落ち着いてはいるが、
これまでのテーマから一歩踏み出し、かつ世界観やタッチまでも
新境地に向かおうとしている姿勢はとてもよくわかります。
新タッチではジブリを過度に意識していると感じられてしまう部分も確かにありましたが、
今後その部分を飼いならし、新海節と融合させ、自分のものにできていくだろうと思います。
「新海誠第2章の幕開け」を感じられたという意味ですがすがしい作品でした。
新海さんの作品はとても大好きで、
特に前作「秒速5センチメートル」なんかは、
実写も含めても、全映像作品の中でトップ3に入るくらい好き。
僕だけでなくて、彼の作品は熱烈なファンが多いです。
その理由は圧倒的に美しい風景や光の描写と
「新海節」とも言われる映像の語り口、リズムにもあると思いますが、
「ほしのこえ」「雲の向こう、約束の場所」「秒速5センチメートル」で
一貫して描いてきた「大切なものの喪失」と
それによる「ここではないどこかへの切望」という
テーマに共感を集めているという部分によるところも大きいと思う。
しかし、その一貫したテーマも前3作、
特に「秒速5センチ」で完成の域に達した感はありました。
そんな中、最新作として登場したのがこの「星を追う子供」というわけです。
今回の作品は、これまでの日常をベースにした作品と一線を画し、
まさにストーリーとしても画にしても、「ジブリ」が作りそうな
ファンタジーな世界観の作品。
その内容、テーマはこれまでの新海作品が「大切なものを喪失すること」、
それを受けて「ここではないどこか」を渇望する心を描いていたところから
一歩進み、喪失した後どうするのか、ここではない自分にふさわしいどこかは
果たして見つけることができるのか、という点に踏み込んでいっている。
結論的には特段目新しいわけではなく、「そうだよね」と誰もが思う、
当たり前の正しいところに今策では落ち着いてはいるが、
これまでのテーマから一歩踏み出し、かつ世界観やタッチまでも
新境地に向かおうとしている姿勢はとてもよくわかります。
新タッチではジブリを過度に意識していると感じられてしまう部分も確かにありましたが、
今後その部分を飼いならし、新海節と融合させ、自分のものにできていくだろうと思います。
「新海誠第2章の幕開け」を感じられたという意味ですがすがしい作品でした。
2011年5月1日日曜日
英国王のスピーチ
今更ながら2010年度アカデミー作品賞を受賞した
「英国王のスピーチ」を見てきました。
ちょうどアカデミー賞発表直後の頃は、私盛んに
「オスカーはソーシャルネットワークがとるべきだった。
アカデミー賞は時代がわかっていない!」と
鼻息荒くのたまっておりましたが、
いやいや、この「英国王のスピーチ」の受賞は妥当どころか、
十分に時代を反映した作品だったとよくわかりました。
やはり見てもいない作品をとやかく言うのはダメですね。
今や英国王室の話題はニュースのトップであるわけですしね。
さて、しかしこの映画、本当に面白かった。
まずこの題材というか背景がもうすでにすごいですよね。
主人公のジョージ6世は、第2次世界大戦時の英国王。
すなわちヒトラー率いるナチスドイツと戦ったイギリスの元首なわけです。
ヒトラーとは言わずと知れた「歴史上で最も演説のうまかった男」。
演説による人心掌握術でそこまでの地位にたどり着いたといっても過言ではないレベル。
そのヒトラーと戦わなくてはならないジョージ6世は
吃音がひどく、うまく演説ができないというコンプレックスを持っています。
また、自分が王であっていいのか自信を持つこともできません。
一瞬しか出てきませんが、このヒトラーとジョージ6世という
コントラストに思いをはせるだけでもものすごく面白いわけです。
さらに時代はラジオの普及が始まったころで、
国家元首が国民に直接メッセージを伝えるということが
初めて大切になった時代のリーダーでもあるのだからさらに大変。
そしてこの作品はその吃音を治すために王についた
言語療養士と王とのかかわりを中心に物語が進みます。
物語の主題的には一人の男が、自分の立場と役割を受け入れ、
言語療養士との友情・家族との絆を通して、自信を持ち、前に進もうとする姿勢を
手にしていくという王道の成長物語でもあるわけですが、
なにせこの話、主人公は王様。
そして言語療養しは貴族でも爵位もない(しかも医師でもない)このただの平民。
この2人の関わりを見ていくことで、民主主義社会における王というもの、
さらには民衆とリーダーというものの在り方が、
おのずと描かれていくわけでもあるのです。
そういう意味で、とても現代的であり、深い意味で時代に即した映画であると
すごく感じたまさに王道の名作映画でありました。オススメです。
2011年4月13日水曜日
こんなはずじゃなかった10年後
現在放送中のアニメーション、
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」
を放送終了している3話まで見てみた。
たぶん誰にでも、
もう二度と会うことができなくなってしまった人がいて、
もうその人はいないし、話すことも、
会うこともないんだってわかっているけれど
でも、昔その人と一緒に過ごした場所なんかに行くと、
たとえば障子の向こうから、庭先から、角の向こうから、
その人がおもむろに現れるような気がすることがある。
かつて子供のころ仲間だった5人が、
もう会えなくなってしまったかつての仲間に対して、
そんな想いをそれぞれ持っていて、
それぞれがそれぞれなりの「その人」の面影を
探して、もう一度集まっていくという話が
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」というアニメ。
小学生の頃とかにずっと一緒に遊んでいた仲間は、
中学に入るころには何となくあまり話すこともなくなって、
10年も経てば、全然それぞれ違う道を歩いていて、
もし会うことがあったとしても中々話も噛み合わない。
そういう誰にでもある苦い経験。
時間はどんな人にも等しく流れて、
10年という大きな時間が経った後では、
その時間が経った結果はすごくはっきりと違って現れる。
すべての人がたぶん多少なりとも思う、
「どうしてこうなってしまったんだろう」と。
あの頃、そんなはずじゃなかったのに。と。
ZONEが歌った「secret base ~君がくれたもの~」が発表されてから、
2011年でちょうど10年経ったことになるらしい。
もうすぐ「10年後の8月」がやってくる。
今あるのは、誰にとっても良くも悪くも
「こんなはずじゃなかった10年後」だけだ。
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」
を放送終了している3話まで見てみた。
たぶん誰にでも、
もう二度と会うことができなくなってしまった人がいて、
もうその人はいないし、話すことも、
会うこともないんだってわかっているけれど
でも、昔その人と一緒に過ごした場所なんかに行くと、
たとえば障子の向こうから、庭先から、角の向こうから、
その人がおもむろに現れるような気がすることがある。
かつて子供のころ仲間だった5人が、
もう会えなくなってしまったかつての仲間に対して、
そんな想いをそれぞれ持っていて、
それぞれがそれぞれなりの「その人」の面影を
探して、もう一度集まっていくという話が
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」というアニメ。
小学生の頃とかにずっと一緒に遊んでいた仲間は、
中学に入るころには何となくあまり話すこともなくなって、
10年も経てば、全然それぞれ違う道を歩いていて、
もし会うことがあったとしても中々話も噛み合わない。
そういう誰にでもある苦い経験。
時間はどんな人にも等しく流れて、
10年という大きな時間が経った後では、
その時間が経った結果はすごくはっきりと違って現れる。
すべての人がたぶん多少なりとも思う、
「どうしてこうなってしまったんだろう」と。
あの頃、そんなはずじゃなかったのに。と。
ZONEが歌った「secret base ~君がくれたもの~」が発表されてから、
2011年でちょうど10年経ったことになるらしい。
もうすぐ「10年後の8月」がやってくる。
今あるのは、誰にとっても良くも悪くも
「こんなはずじゃなかった10年後」だけだ。
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