誰しも、大なり小なり子供のころに何かを夢見ていたことがあると思う。
サッカー選手だとか、ケーキ屋さんだとか、モデルだとか、人によってさまざま。
そして特に中学生や高校時代に見た夢は、そのまま将来目指す夢となって、
その人の進路を決めていく。
しかし、かなりの人数がその夢に挫折して、もしくはどこかで妥協して、
結局「夢は叶わなかった…」と感じていくことになる。
ここで気が付くことは、
多くの人の夢は、具体的人物がイメージできるような、
特定の職業的なものを指すことがほとんどだということ。
同じケーキ屋でも個人で店のオーナーになることを指すのか、
大きな看板の店のもとでパティシェになるのかでは全く違うし、
サッカー選手でも、モデルでも、パリコレに出るような世界的トップモデルになるのか
現代アーティストとコラボするような独自路線モデルになるのかは
全く意味が違ったりする。
すなわち、夢をあきらめてしまう人は、
自分が何を夢見ていたのかわかっていないんじゃないかと僕は思うのだ。
僕は中学時代から映画監督を夢見たクチで、
これは夢の中でもどちらかというと人数の多い、
マジョリティ的な夢だと思う。
だからその分、それが叶わなかった人の姿を目にすることも多い。
そういう人の特徴として、「映画」という言葉に無条件にこだわると
いうことがあるような気がする。
映画監督という夢を持つことを分解すると、
・有名になりたい
・共同作業でものづくりをしたい
・リーダーになりたい
・クリエイティブっぽいことがしたい
・映画作りの世界に関わっていたい
・美しい画をつくりたい
・ストーリーを紡ぎたい
・世界に自分の思いを発信したい
等々、もっと細かい夢に分けることができる。
そして、映画監督という大きなくくりに夢を感じているなら、
分解したどれかの要素に夢を感じているということである。
さらに、そのひとつかふたつが自分にとって一番大事なコアな想い・欲望である。
そのコアな欲望の正体さえつかめれば、
競争率の異常に高い、劇場映画の監督などという
恐ろしく狭き門にわざわざ挑戦しなくても、
自分の夢は実現できるのではないかと思ってしまう。
はたして映画監督を夢見る人間のどれほどの数の人が
絶対に全国公開の劇場映画の監督でなければならない要素を
夢見ているのか甚だ疑問だったりする。
ちょっと暴言だっただろうか...?
でもこれが僕にとっての夢のかなえ方だ。