最近、映像作品の音だけを抜き出して聴くということを始めた。
まずはバイブル的に敬愛している新海誠の「彼女と彼女の猫」「ほしのこえ」、
それからキャメロン・クロウの「エリザベスタウン」を聴きはじめている。
これをやろうと思いついたのは、かれこれ2年前のことで、
きっかけは映像作品における音楽だけでない、
効果音やセリフも含めたサウンドデザインが
どれほど大きな影響を作品に与えているのかに
思いが至った時からだった。
数ある映像作品の中でも、特に前述した2人の作品は
サウンドデザインを抜きには語れないほどに
音の出来が作中の大きな比重をしめているとその時感じた。
そんな風に思って彼らの作品を見ていると、
「これは自分には絶対できないなぁ」と思ってしまうほどに
サウンドデザインの完成度の高さを
感じてしまうようになっていた。
しかし、やっと音だけで作品を鑑賞してみるということを
やってみると、驚くことに「完璧なタイミング、針の穴を通すような
音の絶妙なバランス」と感じていたものが、
(実際にすばらしいサウンドデザインなのは間違いないのだが、)
構造としてはとても単純だったりすることに気が付いた。
少なくとも自分が把握できないほどに、複雑に創られてはいない。
論理的で、筋道を立てて作ろうとすればできるものな気がしてくる。
映像作品は一枚の画、動画としての動き、音楽、セリフ、効果音と
様々な要素が合わさってできているため、一見完成品だけを見ると、
構造がとても複雑に見えることがある。
こんなものどうやって作ったんだ!というレベルで。
ただ、それをひとつずつ要素にわけて分解していくと
案外それぞれの要素は単純に組み合わさっていたりする。
「物事を理解したければ一度それをすべて分解し、
再度組み立ててみればいい。」
学問の世界でも、職人の世界でも、そして映像の世界でも
どうやらこの格言は通用するようである。