2010年12月14日火曜日

分解すること

最近、映像作品の音だけを抜き出して聴くということを始めた。

まずはバイブル的に敬愛している新海誠の「彼女と彼女の猫」「ほしのこえ」、
それからキャメロン・クロウの「エリザベスタウン」を聴きはじめている。

これをやろうと思いついたのは、かれこれ2年前のことで、
きっかけは映像作品における音楽だけでない、
効果音やセリフも含めたサウンドデザインが
どれほど大きな影響を作品に与えているのかに
思いが至った時からだった。

数ある映像作品の中でも、特に前述した2人の作品は
サウンドデザインを抜きには語れないほどに
音の出来が作中の大きな比重をしめているとその時感じた。

そんな風に思って彼らの作品を見ていると、
「これは自分には絶対できないなぁ」と思ってしまうほどに
サウンドデザインの完成度の高さを
感じてしまうようになっていた。

しかし、やっと音だけで作品を鑑賞してみるということを
やってみると、驚くことに「完璧なタイミング、針の穴を通すような
音の絶妙なバランス」と感じていたものが、
(実際にすばらしいサウンドデザインなのは間違いないのだが、)
構造としてはとても単純だったりすることに気が付いた。
少なくとも自分が把握できないほどに、複雑に創られてはいない。
論理的で、筋道を立てて作ろうとすればできるものな気がしてくる。

映像作品は一枚の画、動画としての動き、音楽、セリフ、効果音と
様々な要素が合わさってできているため、一見完成品だけを見ると、
構造がとても複雑に見えることがある。
こんなものどうやって作ったんだ!というレベルで。
ただ、それをひとつずつ要素にわけて分解していくと
案外それぞれの要素は単純に組み合わさっていたりする。

「物事を理解したければ一度それをすべて分解し、
再度組み立ててみればいい。」

学問の世界でも、職人の世界でも、そして映像の世界でも
どうやらこの格言は通用するようである。