2010年12月19日日曜日

ジャンルを超えること

一流の映像作家は皆例外なく独自の世界観のようなものを持っている。
作品を見ただけで、だれが作ったのかわかってしまうような、
他とは違う雰囲気を醸し出すことができている。

「そういう一貫した世界観は、どうやって生まれてくるのだろう?」
と考えているうちに、最近もしかしたら映像作家は映像の世界から
表現・制作を始めないほうがいいのではないだろうかという気がしてきた。

映像でも、音楽でも、デザインでも、アートでも、
どんな一流の作家にも必ず、
「始めたばっかりの頃」というのが疑いようもなく存在するはずだ。
そしてそういう頃はほぼ例外なく、制作にそんなにお金はかけられない。
将来どんな有名作家になろうとも、そのころには誰しも一介の素人だ。
だから作る作品もお金のかかっていないものになってくる。
これは実に当たり前のことだと思う。

しかし、制作するもののジャンルによって、
かかるお金とできることのレベルとの関係性が変わってくる。
たとえば絵やグラフィックデザインなら、
部屋に置いてあるカップを描くのも、天地創造の様子を描くことも、
かかったお金が同じということがあり得る。
絵の具の量でしか値段は変わらないし、ましてやコンピュータを
つかったグラフィックの制作ならそれすら変わらない。
スキルと想像力さえあれば、創造を妨げるものは何もない。

その中で、映像というものは間違いなく
かかるお金とできることのレベルというものが、
非常にきっちりと連携してくる制作であることは間違いがない。
映像で部屋のカップを撮るのはほとんどコストがかからないが、
それと同じコストで天地創造を描くことは不可能だ。
(部屋のコップと食器で天地創造をパロディすることはできるかもしれないが。)

金のない時期に映像を作り始めると、金のない映像しか作れない。
そうして熟成させていく作家の世界観というのは、
日常に寄り添ったり、一般的映画の価値観とは別の軸で
評価されるものばかりになってしまう。
(岩井俊二風の日常作品とか、青春ものみたいなのをそこらじゅうで目にする。)

そういうものもあるべきだと思うし、いいと思うが、
たとえばSTARWARSや紀里谷和明監督のような
世界観ごとダイナミックに想像してしまうような作品を作る人間は
そういうところから生まれにくい気がしてならないのだ。


だから、実はそういうものを目指す作家は
たとえばグラフィックやCGなどの、、
描くものの規模がかかるお金に関わらない
ジャンルで自分の独自の世界観を醸成し、
その後、映像制作に参入してもいいんじゃないかと思う。
もしくはグラフィック系のジャンルの人が
映像系にドンドン流れ込んでくるべきなのじゃないかと思う。

もう一人の作家がひとつのジャンルにとらわれる時代は
とっくの昔に終わっている。
自分の目的のために、自在にジャンルを横断できることが
これから何よりの強みになるんだろうなと思う。